2004 Light & Soil マキイマサルファインアーツ/新橋5/16-22

ギャラリーのスペースを庭に見立てたグラスアートのインスタレーション作品。コンセプトは「土」。ガラスは光で創られる生物。庭を作ろうと思ったのはマキイマサルファインアーツの持つ特別な雰囲気からです。初めてこのギャラリーを訪れた時、使い込まれた壁や床、壁に露出した配線パイプに生物の気配を感じました。それはとても心地よいものでした。焦げ茶の板の間はよく耕された土のようだったし、無機的なもののはずのパイプはなんども塗装されて何年もかけてそこで育った植物のような顔をしていました。今回の作品はこの魅力的な土(床)と植物の茎(パイプ)から触発されました。庭にポツンと残されている植物用の支柱がモチーフでしたが、主役はマキイマサルファインアーツそのものかもしれません。仮植えでしたがここの土によくなじみ、毎日少しずつ成長?して微妙にスペースが変化していきました。

photo : (c)淺川敏

Green thumb

直訳すると「緑の親指」。植物を育てる名人のことをいいます。ちょっと日本ではなじみの薄い言葉のようですが、庭いじりの好きな人には実感できる表現です。草取りをしたり、虫をとったりすると、あっという間に親指が緑に染まります。でも都会人のあなたは、グラスを手にとってもらうだけでGreen thumbの持ち主に!

Sprouts

芽ですね。ちょっと「ガラス頭」で先が思いやられます。

Portrait

肖像というタイトルは「これはちょっと深いな。どういうこと」と質問されました。この作品は細かく見ると要素の多い作品です。植物の苗をモチーフにしていますが、見る人によって、根っこの部分の釘、金網で包まれていること等、どこに注目するかは人それぞれ。あなた自身の考えていることを映し出してしまう鏡のような作品なのです。

Stems-Installation

「どうやって立っているんですか?」今回、一番多かった質問でした。ほらほら!釘のような強い根っこをPortraitで見たでしょ。それとたぶん「気力」です。

Stumps - Installation

植物が立派に育ち、刈り取られた後のようでもあり、これから育つ予感も...

番外編

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昼食に出かけてギャラリーに戻ってみると机の上に置いてあったビニールタイから思いがけない芽が出ていました。毎日水?をやって育てましたよ。今回の展覧会で一番うれしかったのは、これかもしれません。

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どうも、男性はこの視点から見てみたいらしく...後もう一人、実際に試したのは写真家の淺川さんです。

2004年の展覧会について

言葉と視覚芸術

今回は今までと展覧会のプロセスが非常に異なっていました。言葉から展覧会の構成を立ち上げていくのではなく、出来上がったものから展覧会の構成が見えてくる、そういうやり方にしたかったのです。おおまかな構成だけを決めていき、会場で作品を組み立てを考える方式にしました。言葉は大切なものですが、視覚芸術においてはやはり二次的なものだと思います。作品が語ったことを後から私がこのHPでやっているように言葉で補ってもいいのではないかと。私がボキャブラリー豊富なジャンルを選べば、自然に作品が予想以上の広がりを持つのではないかと考えました。さらに、他の人にとっても身近なものがいい、ということで「庭」をテーマに選びました。直前の六本木ヒルズでのグループ展が非常に「都会」的なものだったので反動として「田舎」っぽいものが、やりたくなったという事情もあります。

作品を他のタームに置き換えること

作品の造形的な構成よりここがもし本当に庭だったら、どこに植物を植えるべきか、そういう視点で作品の配置をしました。植物は光のあるところにしか育ちませんし、自然光の展示なら見え方としても、結果的にそれがベストの場所になります。展覧会の間、私は庭師になりきり、作品論のようなことは余り語らなかったお陰で、感想を色々頂きました。その中でユニークだったのは作品がグループごとに楽曲に感じられたというご意見、キリンと植物が混ざった感じがするというもの、その人のバックグラウンドが透けて見えて、興味深かったです。そして、何人かの男性から頂いたのが「儚さ」というキーワードでした。

細長いものを建てるということ

観て下さった方が建築に携わる方が比較的多かったので特に気になったのですが、建築系の人はモノが自立して立つということに非常にこだわりがあるようです。用途以前に人間が重力に抗して、あるいはそれを利用して「建てる」ということには人間の欲がはたらきます。私にも明らかに細長いものを建てたいという欲があります。理由はよく解りません。私がやせ形で背が高いこと、そして、もしかしたら子供時代、私が台湾に暮らしていたことと関係があるかもしれません。ヤシの木、それからパパイヤなど南国の植物は成長が早いのであっという間に背が高くなってしまいます。竹でできた建築現場の足場。大きな台風で道の両脇の電柱が8割がた根元から折れていた風景というのは強烈な記憶として残っています。大分、話がそれてしまいました。当然といえば当然ですが、細長いものは倒れやすい。しかし植物というのはその点、建築物に比べて、かなり難しいバランスで立てるわけです。単純な自然賛美はしたくないのですが、よく考えるとどうやって立っているのかと。実際、竹の地下茎というか地下網ともいえる構造はすごいです。3年ぐらい、家の近くのシノ竹をなんとか取りたいと思って奮闘したので、その生命力には参りました。倒れてもまた這い上がる力、本当はその辺がもう少し表現したかったのですが、今回はちょっと舌足らずになってしまい、「儚さ」に焦点があたってしまいました。でも、その辺のズレがアートの面白いところであり、恐いところだと思います。作品は作家の生き方を確実に反映してしまいます。しかし、同時に受け取る側の状況、感情も映し出すことも確かなようです。次回はもう少し明るい展開にしたいですね。ユウキとユーモア、その辺がポイントかも。